無題

文章を書くのが下手になった気がする。

別に昔から文章を書くこと自体下手でも得意でもなかったのだが、最近は言語化する能力が衰えたというか、考えていることをうまく言葉にできず筆が止まる瞬間が増えた。

他人に書いて見せるほどの生活を送っていないからではないか、と卑屈に捉えることもできるが…。

 

大学生時代は今よりも陰鬱な日々を送っていたけれども、知に触れる機会が多かったからか話題には事欠かなかった。

つまらない労働に終始していると、発想まで乏しくなってしまうように思う。

毎日同じことの繰り返し。

所詮、アルバイトなんかそんなものだ。

決められた業務を確実にこなすことだけが重要で、イレギュラーな事態はなるべく起こさない。

無難にその日を終えることが最善なのだから。

そんな日々が長く続けば、つまらない人間になるのも当然と言えば当然なのかもしれない。

 

…いや、ただの詭弁だ。

些末な労働に終始した人生を送ることと、良い文章を書けなくなることに論理的な連関は何もない。

ただただわたし自身がつまらなくなってしまっただけだ。

 

何を伝えたいのかよく分からない文章になってしまった。

なんかもう疲れたので、これで終わり。

Ashes to ashes, dust to dust

いつも間に合わせの人生を送ってきた。

宿題やレポートを提出するときは、決まって期限ギリギリだった。

テスト勉強だってずっと徹夜で凌いできた。

いつだってそういう人生だった。

 

わたしは、何かを継続してやることがとても苦手な人間なのだ。

一つのことを集中してこなせない。

別の何かがあると、すぐにそちらに目移りしてしまう。

腰を据えて物事に取り組むということができない。

そういう人間は絶対にどこかで挫折するシステムになっている。

少なくとも今の社会は、わたしの一時しのぎの解答をいつまでも良しとはしてくれない。

 

誰かに言われたことがあった。

「今のままでもいいんじゃないか? 働き方だって多様化してきている。 定職に就かなくても生きていけるのだから。」

それはそうかもしれない。

だが、幼い頃から内面化されてきたわたしの規範意識がそれを許さない。

28歳で既卒フリーターだなんて嘲笑の対象でしかないでしょう?

そういう認識が、脳にこびりついている。

燻ぶったエリート気取りの精神性が、わたしを掴んで離さない。

わかっているのだ、今更そんなこだわりを抱いたところで何の糧にもならないということくらい。

それでも捨てきれなかった。

同時についぞ持てなかった。

社会のレールから脱線しても、振り切って生きていくだけの勇気を。

わたしはきっと、凡庸な人間だから。

 

いつからか、ずっと感じている。

生きていて恥ずかしい。

世間からの評価に耐えられない。

家族の冷たい眼差しが突き刺さる。

「いつになったら“まとも”な人間になってくれるの?」

 

わたしは応えたかった。

わたしも、まともな人間になりたかった。

発達障害者が健常者のように振舞えることはないのかもしれない。

それでも弟のように、堂々と社名を言える企業に入って、親を安心させてあげたかった。

 

社会はその人が積み上げてきたものを見定める。

わたしは何も積み上げてこなかった。

その体たらくがこれなのだ。

もういい加減、醜態を晒し続けるのはよそう。

 

解決策を考え付いた。

社会復帰を果たすためにはどうすればいいのか。

無理やり期限を設ければいい。

死期という期限を。

その日までに規定の目標を達成できなければ人生の終わり。

苦肉の策というやつだ。

今度は未遂でなんか終わらせない。

これ以上の猶予を設けたら、確実に怠惰へと寄与するだろう。

目標を達成できなければ死をもって償うというくらいの気概でいかなくてはいけない。

 

わたしの誕生は7月6日。

2025年には30歳になる。

30歳になってから自殺するというのは、なんというか…華がない気がする。

ありきたりだ。

死ぬのなら若い方がいい、と勝手に思っている。

だったら20代のうちに死んでおこう。

幼稚な発想だとは思う。

いかにもバカっぽい人間の口から出てきそうな極端な物言いだ。

でも、こうする以外にない。

さすがに死ぬとなれば、少しはこの鈍らな身体も動こうとするだろう。

一応先に言っておくと、メンタル自体はそこまで悪くない。

むしろ、ここ数年で一番良い時期かもしれないくらいだ。

こうして記事にしておけば、後から言い訳がきかなくなる。

啖呵を切って、やれ。 わたし!